ここだけ雰囲気違ってたり…


無題


 いつかの時代、果てしない東方にある小さな小さな、海に浮かぶ小さな国。
 誰も知らない様な、名もない小さな国。
 ここは黒の夫人が治める国。
 白の奴隷達は黒の夫人に仕えることを喜びとし、黒の夫人の為に働き。
 時に舞い、時に踊り、時に唄ったりもした。
 この国はまことに奇妙な国だった。
 この国の住人は、これら黒の夫人と白の奴隷だけなのだ。
 先程のべた様に。
 この国は黒の夫人が治める国。
 白の奴隷達は黒の夫人に仕える事を喜びとし、黒の夫人の為に働き。
 時に舞い、時に踊り、時に歌った。
 ただそれだけの国。
 争い事も戦も無い平和な国。
 その国は、もう何千年の昔から、何一つ変わらない国。
 そんなこの国にある変化が生じた。
 それは、赤の女が生まれた事。
 赤の女は、黒の夫人の赤い血から生まれたという。
 黒の夫人が血を流した。
 刀が、黒の夫人を傷つけた。
 黒の夫人の白い、細い小指を傷つけた。
 赤い血が黒の夫人の小指からぽたりぽたりと落ちた。
 白の奴隷達はおどろいた。
 赤の女は、黒の夫人と同じ顔だった。
 赤の女は刀をうばってどこかへ逃げた。
 美しい顔で、楽しそうに笑いながら。
 赤の女はどこかへ行った。
 それから、赤の女は悪さをするようになった、刀で悪さをするようになった…。
 百年たった。
 男が流れついた。
 月の出ぬ、墨汁をまいたように黒い夜、黒い海、黒い砂浜。
 波の立てる白い泡さえも黒い夜につつまれて黒い夜は夜の間だけ世界を支配した。
 そんな夜に男は流れついた。
 まるで死んでいるかのように横たわる。
 白の奴隷が一人助けてやった。
 男は生きていた、男は目を開けた。
 白の奴隷はおどろいた。
 男の髪は銀、瞳も銀。
 はじめて見る異邦の者。
 異邦の者もおどろいた。
 そして口を開けた。
「ここはどこだ」
 それを聞いた白の奴隷。
「ここは黒の夫人の治める国」
 と男に答える。
「黒の夫人…、の治める国…」
「左様、黒の夫人の治める国」
 男の言葉を反復した白の奴隷は、松明で男の顔を照らした。
「そなた、なぜここにおる。どこから来なすった」
 男に問いかける。
 松明の明かりに照らされて、男の姿が黒の夜の中にぼんやりと見える。
 男はなにも語らず、口を閉ざす。
 白の奴隷、さらに男に松明を近づける。
 白の奴隷、男の手を取り。
「ささ、来う来う」
 男をいずこかヘ連れて行こうとする。
「何をする、放せ」
「ささ、来う来う」
 男は白の奴隷の手をほどこうとするけど、弱りきった体ではかなわない。
「ささ、来う来う。黒の夫人のお城まで来う来う」
 白の奴隷、松明の光りを前にかざし男の手を取り夜の道を進む。
「ささ、来う来う」



 黒の夫人の住むお城。
 大きな大きな天守閣のお城。
 一番上の瓦屋根の上、大きなしゃちほこが西と東の端に尾ひれを天高くそびえさせ。
 大きな口を大きく開けて、天守の上でしゃちほこる。
 大きな大きな、黒の夫人の住むお城。
 黒の夜におおわれても、しゃちほこは金色(こんじき)に輝きお城を黒の夜から守っている。
 だから、黒の夜でもお城ははっきり見える。
「開けてたもれ、開けてたもれ」
 お城の大手門の前、男を連れた白の奴隷。
「開けてたもれ、開けてたもれ。黒の夫人に会わせてたもれ。この男に会わせてたもれ」
 白の奴隷、声高に叫ぶ。
 男は白の奴隷に手を取られたまま。
「オレをどうするつもりだ。取って食うつもりか」
 一人ごちる。
 門が開いた。
 ぎ、ぎ、ぎ、と音を立てて。
「ささ、来う来う」
 白の奴隷、男の手を取り大手門の中に入って行く。
 男も白の奴隷に手を取られ、大手門に入って行く。
 そして、目を見開きぎょっとする。
 大手門を抜けお城に行くまでの道、石の墓、墓、墓。
 石の墓ばかり、四角い石の墓。
「これみんな赤の女が悪さした。赤の女刀でみんなに悪さした、白いみんなを赤くした。赤くなったみんなこの土の下。墓の下…」
 白の奴隷は男に語った。
 涙を流しながら語った。
 だけど、男はわからなかった。
 何もわからなかった。
 ただ、つかれた体を休ませたい。
 男はそればかり考えていた。
 背中で門が閉まる音がした。
 男は言った。
「眠りたい」
 しかし、白い奴隷は聞かずただ男の手を取りお城の中に入ってゆく。
 いくつもの長い長い廊下を歩き、いくつもの広い広い部屋を抜け、いくつもの高い高い階段を登り。
 ついに一番上の黒い夫人の間にたどりついた。
 その間、いく人の白の奴隷とすれちかったかおぼえていない。
 みんな、白をまとっていた。
 同じ姿だった。
 男も女も。
 みんな、白をまとっていた。
 そして、白の奴隷達もおどろいていた。
 男が。
 髪と瞳が銀の男が。
 それが、黒い夫人のところへ連れて行かれている。
 刀と同じ、銀色に輝く髪と瞳の男が。
 黒の夫人のところへ連れて行かれている。



 黒の夫人の間。
 お城の一番上にある。
 お城で一番小さな部屋。
 そんな小さな部屋の上座に、黒の夫人が座っている。
 小さな明かりが黒の夫人をほのかに照らしている、そしてその中に黒の夫人がぼんやりと見える。
 漆黒の髪、瞳、黒の着物、そしてそれに相対す白い肌。
 絶世の美人。
「何事か?」
 黒の夫人が、静かな、美しい声で問う。
「この男は何者か?」
 白の奴隷に問う。
「へい、この男、銀の男でございます」
 白の奴隷、黒の夫人の前にひざまつき、応える。
 銀の男、と呼ばれた者は壁にもたれすわりこみ右手で頭をおさえくるしそうに。
「オレは、銀の男じゃない。ケイ、ケイという名だ」
 と言う。
「名…?」
 白の奴隷それを聞き不思議そうに、銀の男、ケイにむき直る。
 その時。
「よい、その者、今は安らかに眠りたいそうな。話は後程」
 黒の夫人、ケイの元まで、しなりしなり、と歩みより、ケイにその白い手をさしのべた。手がケイの右のほおにふれた。
 ケイは少しおそれ、身をそらさんとするが。
「……」
 そのまま物言わず眠った。
 目を閉じ、黒の中で、ケイは安らかに眠る。



 赤い、赤い、赤の中。
 上も下も前も後ろも右も左も。
 赤。
 赤の中。
 ケイは赤の中でただよっている。
 まるで赤い水の中。
 それは、血の赤と同じ赤の水の赤。
 銀色の髪も瞳もその赤に侵されて。
 ケイは赤の水の中をただよって。
 それは、いつか見たことのある。
 ずっと、ずっと、昔の、幼い頃よりももっと昔。
 この世に生まれる前。
 まだ形もなさぬ頃。
 母の中でただようあの時の頃。
 一本の紐でつなぎとめられていた頃。
 見た、ことがあるような、風景。
 この赤い、命の水がなければ人は生きてゆけない。
 その命の水の赤は美しく光る。
 その美しい光る赤は、いかな宝石よりも美しく、きれいに…。
 う、ふ、ふ。
 誰かが笑っている。
 美しい、女の声で。
 まるで心満たされたように。
 この赤い水の中にいるのを楽しんでるかのように。
 う、ふ、ふ。
 また、聞こえた。
 美しい声で。
 そしてどこかで聞いた声。
 まどろみの中、ケイは見た。
 女を。
 人魚のように、赤い水の中を泳ぐ女を。
 ケイは女を見ようとした。
 けれども、目がまどろんで、よく見えない。
 すると女がこちらにやって来る。
 女は目の前までやって来た、なのにいまだ目はまどろみ、女をよくみることができず。
 女はケイに両手をかざし、ケイに触れようとする。
 ケイは、動けず。
 肉体が、身体があるのかさえうたがわしい。
 このまどろみの中、溶けてしまったのだろうか。
 手が、女の手が触れた。
 どこに。
 わからない。
 只、己に触れているのだけわかる。
 顔が近づく。
 女の顔が、目が、己の目に触れんばかりに近くなる。
 感触。
 唇と唇の触れるやわらかな感じ。
 それだけわかった。
 一筋の光。
 一筋の光が銀色の光が、己の中、そんなものがあるのか、を駆け抜けた。
 銀…、の色の光
 見えた。
 確かに見えた。
 まぶしいばかりに。
 やわらかな唇の触れ合いの中…。
 やがて、唇と唇がはなれた時。
 また光が見えた。
 光は全てをおおいつくそうとして。
 赤の水の中の女、赤の水の中にいる自分自身をも、おおいつくそうとして。
 そして光が全てをおおいつくした時。
 目が、ケイのほんとうの目が開いた。



 ケイは目を開いた。
 そしてそのまま目を見開き。
 口も目に従い共に開こうとする。
「ああああ…」
 口からもれるように声が出た。
 上座の畳の上に横たわり、切りさかれた黒い着物からのぞく白い美しい肌、その白い肌、左の乳房から右のわき腹まで走る一筋の赤。
 そこから流れる赤い、命の水、は上座の畳を染め。
 安らかに眠るように閉じられた目は二度と開かず、美しい黒い瞳をまぶたの中にとじこめる。
 唇も二度と開かず、美しい声を出すこともなく。
 人形のように永遠に眠る黒の夫人がそこにある。
 ケイは黒の夫人の姿を見止めると、我知らず駆け出した。
 ころびまろびつ、眠る前に登った階段を駆け下りた。
 ケイは止まった。
「ああああ…」
 お城の、何階か知らぬが、大広間。
 そこに、たくさんの白の奴隷達がよこたわる。
 赤い命の水を天井に、壁に、床にまきちらし、白の奴隷達も赤く染め上げ。
 黒の夫人と同じように永遠に眠る。
 そして、横たわる白の奴隷達の中。
 女が、一人。
 座っている。
 一糸まとわぬ、裸の女。
 美しい線を描く、雪のような白の裸形のところどころが、赤く染まっていた。
 ぬれひかるように紅い唇、恍惚と輝く紅い瞳、燃えるように紅い髪の、美しい女。
 その手にさらに赤くぬれひかるものをにぎりしめて。
 女の紅い瞳はじっとそれに見惚れていて。
 だけど、白の奴隷たちよりも、女よりも、ケイの銀の瞳はその赤くぬれひかるものに釘付けにされて。
 それは刀。
 ぽたり、ぽたり、と赤のしずくが床にに小さく丸くたまってゆく。
 耳がいたくなりそうな静けさ。
 ケイと女はその静けさに身を任せ、じっとして。
 それは永遠にも感じ、一瞬にも感じ。
「……」
 女の顔を見たケイ、思わず声を出そうとしてとめる。
 沈黙が破られる。
 女の顔は、黒の夫人と同じ顔。
 髪と瞳と唇の色以外全て、同じ顔。
 何故。
 ケイは訳がわからない。
 さらに恐怖がケイの心をかき乱す。
 ケイはいまだ自分が夢から覚めてないのか、と思った、そう思いたかった。
 う、ふ、ふ。
 女が笑った、ぞっとするような美しい笑顔で。
 その笑い声は夢と同じ声。
 そう、自分は夢の中なのだ、そうなのだ。
 しかし、その思いはいともたやすく、破られた。
「いいえ、あなたはもう、夢の中のあなたではないの」
 女が口を開いた。
 目を、紅い瞳を、ケイに向けて。
 そしてまた。
 う、ふ、ふ。
 と、笑った。
 夢と同じように。
 女に見つめられ、ケイはさらに心かき乱す。
 なのに体が動かない。
 逃げたい、逃げたい。
 ケイの必死の思いむなしく、体は動かない。
 まるで、己の肉体の中で心が溺れてる。
 やはり、いまだ夢の中なのか。
 そんなケイを、女は優しくほほえんで、見つめる。
 女は何を思ったか、手ににぎる赤くぬれひかった刀を、もう片方の手でぬぐう。
 手の中にべったりと、赤色がつく。
 そのかわり、手ににぎられているものは銀色に輝いた。
 それは、ケイの髪と瞳と同じ銀色。
 細長く、少しそった刀。
 それで、この女は黒の夫人、白の奴隷達を殺した。
 刀、女の手ににぎられているもの。
 赤の女が、この女。 
「赤の女、刀でみんなに悪さした。白いみんなを赤くした。う、ふ、ふ…」
 女、赤の女はうたうように言う。
「そうでしょう。ねぇ」
 女は立ち上がり、ケイの元へと歩みよる。
 その通り。
 だけど声にならない。
「赤くなったみんなこの土の下、墓の下…」
 赤の女、白の奴隷の言葉をうたうように言いながら、ケイに歩みよる。
 手に刀を握りしめ。
 赤の女が一歩歩く度に、ふくよかな乳房がゆれる。
 ケイは恐怖の糸にからめとられ動けない。
 なのに何故か。
 赤の女に惹かれて。
 銀の瞳は、赤の女の瞳をみつめ、赤の女もケイの銀の瞳をみつめ。
 まるで千年愛しつづけたように。
 今は夢にあらず。
 今は現。
 現の中。
 夢心地。
 眠る前、黒の夫人に触れられた時と同じ心地よい気だるさ。
 なのに眠ることがないのは、赤の女。
 赤の女の瞳のせい。
 真っ赤な命の水を吸い尽くしたような紅い瞳がケイの銀の瞳をとらえ。
 心を現に引き止める。
 ケイも銀の瞳を赤の女の美しい、雪のような裸形をとらえてはなさず。
 恐怖と混乱と心地よい気だるさ。
 赤の女が、ケイのすぐ目の前までやって来た。
 夢と同じ。
 ただ、今ははっきりと見える。
「同じ…」
 赤の女は目の前のケイの瞳と髪を見て言った。
「あなたの髪、あなたの瞳、これと、刀と同じ、きれいな銀色…」
 赤の女は上気した、紅らめた顔、まるで恋する乙女のよう。
 そしてまた、二人はしばらくの間、見つめあう。
 赤の女の後ろ、ケイの目の前、壁も床も天井も、血の赤を撒き散らし。
 たくさんの白も血の赤に染めて横たわる白の奴隷達。
 そんなものは二人にあってないように。
 ただ、赤の女の好きな色にされただけ。
 ケイは、赤の女の裸形を見るうち、己も赤の女のように上気する。
 抱きたい。
 不意に思う。
 この女を、赤の女を抱きたい。
 その思いは、おさえようともおさえられない。
 只、その思いが大きく広くなるばかり。
 燃えるように紅い髪、恍惚と輝く紅い瞳、紅くぬれひかる唇、上気し紅く火照る頬。
 全て、全てを自分のものにしたい。
 女を抱きしめ、唇を吸い、乳房を揉みしだき…。
 赤の女はほほえんだ。
 ケイはそれを見、我にかえる。
 そして赤の女の言葉を思い返す。
 同じ、あなたの髪、あなたの瞳、これと、刀と同じ、きれいな銀色…。
 どういう意味か、わからない。
 銀の瞳を一瞬刀に移す。
 妖しく、美しい銀色の刀。
 赤の女の手の中。
 黒の夫人、白の奴隷を赤く染め。
 一体何故。
 赤の女は何故こんな事を。
 何故黒の夫人と同じ顔なのか。
 わからない。
 恐怖と混乱、疑問、欲望、あらゆる感情がないまぜになって、ケイの心をかき乱す。
 狂ってしまうまで、あと少し。
 赤の女はケイを見て楽しそう。
 まぐわう前の品定め、か。
 それとも、斬る、か。
 その銀の瞳と髪をを赤く染めるのも、いい。
 赤の女はそう思った。
 だけど、もう十分染まっているから…。
「私は黒の夫人のもう一つの心、黒しか愛さないあの人が、愛したただ一つのほかの色。それは赤、美しく、きらきら光る赤が好きなの、私。私はあの人のもう一つの心なの」
 赤の女は嬉しそうに語った。
 ケイが聞くか聞かずか知らず。
「一番美しい赤色は、なにかわかる? それは…」
 ケイは、赤の女から、まるで、息苦しい、だるく、生温かな風を感じた。
 ケイはもうじき狂いだす、かもしれなかった。
 体が、動かない、逃げられない、もう、このまま斬られる。
 あの白の奴隷達と同じように。
 女は笑っている。
 優しく。
 姉が弟を、母が子を、いつくしむように。
 赤の女は刀を。
 ケイの手ににぎらせた。
 刀をにぎるケイの手を、優しく手のひらで包みこむ。
 紅い瞳が、一瞬ぬれた。
 ケイは体の奥から衝動を感じた。
 その衝動はなにかわからない。
 赤の女は、ケイの手ににぎらせた刀で。
 己の胸を貫かせた。
 声にならぬ叫びがケイの中でこだまする。
 刀の通る乳房から赤い血が刀を伝ってケイの手からぽたりぽたりと、したたち落ちる。
 赤の女は、笑っている。
「血の赤よ…」
 赤の女は話の続きを話し始める。
 ケイは、狂うかと思ったけど、狂ってない。
 心が落ち着いてゆく。
 刀が、赤の女の乳房を貫いた時、ケイは安らぎを覚えた。
 流れ出る、赤い血を見て。
「ずっと、ずっと見ていたい。この美しい赤色を。でもこの赤色はすぐにくすんで。だからまた新しい赤色が見たくなるの…」
 赤の女の声が弱くなる。
 声だけでなく、命も弱くなってゆく。
 ケイは刀を握りしめたままの姿で、赤の女を見る。
 手に血の生温かさを感じて。
「なんで…」
 少し、声が出た。
 体も動く。
 赤の女は崩れ落ちた。
 ケイはそれを抱きかかえ。
 いまだ乳房に刀を通したまま。
 女は己に通る刀にやさしく触れた。
「刀が黒の夫人を傷つけた。そして赤い血が出た。その時、美しいと思った。赤い血の赤色を。それが、すべての始まり…」
 赤の女は語りつづける、命の灯火がきえようとする今も。
 ケイはそれを聞いている。
 まるで、おとぎ話を聞くように。
「刀は願いをかなえてくれた。美しく、銀色に輝く刀が…」
 少しとだえる。
「美しい、赤色を見たい願いが私を生んだ。でも、もうそれはここでは出来ない。もうすべての赤色が流れてしまったから…」
 ケイは何も言わない、思わない。
 全ては、あの黒の夫人の狂おしき願いから始まった、ということだけ分かり。
 そして赤の女も死んでゆく。
 死ぬ。
 それは何なのか今は分からない。
 だけど、赤の女の死が自然と自分の中に入ってゆく。
 それは錯覚か。
「みんな眠った。そして夢をみるでしょう。私も、同じ…」
 夢…。
 ケイはその一言のみ頭に浮かんだ。
 それ以外の言葉は浮かばない。
 女は続ける。
「夢、赤の夢、みんな赤い水の中を泳ぐ夢。そこで永遠にみんな一緒に…」
 それはケイが見た夢と同じ。
 やはり、夢の女は赤の女か。
 ケイがその思いにかられている時。
 赤の女は残りの力を振り絞り。
「あなたの髪、瞳、刀と同じ、すごくきれいな銀の色。わたし、あなたのことも好きよ。愛してるわ…」
 そう言うと、赤の女とケイの唇が触れた。
 一瞬、永遠、を感じるより先に二人は唇の柔らかな感触を感じた。
 夢と同じ、やわらかな唇。
 きっと黒の夫人もあなたを愛したでしょう。
 赤の女は思った。
 刀と同じ銀の瞳と髪をもつ男。
 銀の男。
 黒の夫人の願いをかなえてくれた、刀と同じ銀の色。
 唇がはなれ、赤の女は最後の言葉を言った。
「わたしはこれから夢を見る、今度はあなたがわたしの夢に入るのよ。ケイ…」
 そのまま赤の女は目を閉じた。
 ケイ。
 たしかに赤の女はケイと呼んだ。
 ケイは腕の中で永遠に眠る赤の女を無表情で見つめる。
 ケイは優しく赤の女から刀を抜いた。
 そして優しく赤の女を横たえる。
 ケイは刀を手にしばらくずっと、赤の女のそばにいて、階段を登り黒の夫人の間までやってきた。
 変わらず、黒の夫人は眠っていて。
 それを一目見て、ケイは今来た道を戻りだす。
 途中、いく人もの白の奴隷のなきがらを見た。
 血の赤い色に染まっている。
 ふと見ると、自分を導いた白の奴隷もいた。
 でも、ケイは無視して通りすぎてゆく。
 もう関係ない。
「オレは銀の男…」
 ケイは、このなきがらばかりの城の中でぽつりと呟く。
「オレは戻ってきたんだ。赤の女と黒の夫人の願いをかなえるために。だからオレの髪と瞳は銀色なんだ…。だからオレは生まれたんだ…」
 刀を、血の赤色に染めるために。


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